指は便利なものである。こんなこともできるし、あんなこともできる。そんなことまでしていいのか、ということだって、ちゃんとできる。
という理由からか、男性のセクシー・ポイントに指を挙げる女性がなかなか多いようだ。板前さんなどとてももてるようだし、ヘアドレッサーも然り。僕なんかも少しばかりピアノを弾くのだけども、何度か指がセクシーだと言われたことがある。僕の手はどちらかといえば無骨な形だから、よくよく褒めるところがないのだろうとも思うが、そう言われて悪い気はしない。これがピアノのおかげならば、ピアノ様さまであろうか。
とはいえ、物心ついた頃から親の見栄半分でピアノを習わされたが、ピアノのレッスン、必ずしも好きではなかった。まず鍵盤が重い。また、動き回りながら弾くことができず窮屈だ。形状もバイオリンやギターなどが優美な流線型をしているのに対し、いかにも頑固そうである。
実際、ピアノという楽器は西洋音楽の権化のような存在で、ハーモニーの構造を理解しようと思えばピアノが一番便利だろう。記譜法自体、鍵盤楽器の発達とともに進化したのではなかろうか。いわば理性のカタマリのような、男っぽい楽器とも言える。
そんなふうに思うからだろうか、男性ピアニストはガンガン弾くタイプが好きで、バルトーク弾きなんかはそれだけで尊敬してしまう。逆にピアノの前で陶酔する女性ピアニストの姿は、この上なく艶っぽい。
ジェーン・カンピオン監督の「ピアノ・レッスン」(原題「ザ・ピアノ」)は、ピアノを小道具に使い、凝った設定で官能を追究した名品である。
この映画で初めて知ったのだが、ヨーロッパにも百年ほど前は「写真見合い」があったようで、ホリー・ハンター演じるエイダは結婚のため、娘とともにスコットランドからはるばるニュージーランドへとやって来た。夫となるのは現地でプランテーションを営むスチュワートである。
彼女は生家からピアノを運ばせてきたのだが、重すぎてジャングルを移動できないということで、夫は浜辺にピアノを放置する。それを自分の土地と交換で引き取り、エイダにある提案をするのが、現地人と入植者との混血、ハーヴェイ・カイテル演じるベインズだ。
エイダ役のホリー・ハンターはまさしくはまり役で、恐ろしいほど魅力的だが、そもそもこの役を得たのもピアノを実際に弾くことができたからだそうだ。劇中で彼女が実際に弾くマイケル・ナイマン作曲の旋律は、十九世紀スコットランドの荒ぶる魂はかくもあろうかというような野趣と美しさに満ちている。
「ピアノ・レッスン」の魅力を語るには紙面が足りない。エロティシズムの宝庫のような映画だからだ。続きは次回。
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