待つのもつらいが、待たせるのはもっとつらい、というようなことを太宰治がどこかに書いていた記憶がある。本当だろうか。本人に「待たせている」という自覚が切実にあれば、この言葉も説得力があるが、待つ身の痛みを知る能力がなければ、言い訳の中でも最もタチの悪いものであろう。
待っている瞬間が最もエロティックだと言ったのは、シュール・レアリズムの元締め、アンドレ・ブルトンだったか。一理ある。じらし、じらされは恋のかけ引きのひとつだし、トレンディ・ドラマの恋の当事者たちは自分の感情はもちろん、相手の気持ちをも十分に知っており、だからこそ「物語」になる。
こういったセンスが皆無の、究極の朴念仁を描いたのが、カズオ・イシグロの「日の名残り」だ。
第二次世界大戦前夜。名門ダーリントン卿に仕える執事長スティーブンスの一人称で語られる、英国の裏面史といった趣の作品。彼は「偉大な執事」像を追い求め粉骨砕身するのだが、ある日、女中頭ミス・ケントンが登場することで、微妙に心理的バランスを崩し始める。
当初、ミス・ケントンは女性らしい細やかさで、スティーブンスの生活に潤いを与えようと心配りをするのだが、彼は職務の遂行を第一としてその親切のことごとくを拒絶してしまう。元来勝気なミス・ケントンは対立・和解を繰り返しながら、彼の求愛を待ち続けるのだが、自分の気持ちが決して受け入れられることがないのを悟り、必ずしも意に沿わぬ男性との結婚を決意して屋敷を去る。
一見、何ということもないストーリーだが、「執事」という特殊な職業、強い忠誠心とおそらく女性恐怖から、恋心をほぼ完全に意識下に抑圧している主人公スティーブンスの複雑な性格、そして現代的だが身よりもなく孤独で、古い因習の中に生きざるを得ないミス・ケントンの人物設定などが巧みで、最後まで飽きさせない。
貴族の使命感から、ナチス支援に身を砕いたダーリントン卿は戦後、没落、歴史から葬り去られる。スティーブンスの描く執事の理想像とは、ただ盲目的に主人に仕えることであって、決して主人をただすなどの出すぎたまねをしないというものだったので、ひたすら「偉大な執事」を求めた彼の人生もいわば徒労に終わるかに見える。悲劇的だが、それでも読後感がなぜかさわやかなのは、思いやりや許容能力に欠けた小人物スティーブンスの人生の人生を、作者が優しく見守っているからだろう。
ところで。待ち続ける女というのは常に悲劇的だが、待ち続ける男というのは-。やっぱり喜劇的だろうね。
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