4/28/2010

マディソン郡の橋②

 前回「母」と「父」のイメージについて、ちょっとした実験をして「母」のタブーについて書いた。気になるのは、女性の場合は「父」像のタブーの方が強いかもしれないことだが、これは僕は男だから測り知ることもできない。
 男は多かれ少なかれマザコンである、とはよく言われることだ。つき合っている女性が本気で怒ったときなど、本当に怖い。体が縮み上がるほど、コワイ。こんなときなど、きっと母なる女性から生まれてきたせいだとつくづく後悔する。関係ないか?
 まあともかく。僕は最近までマザコン度はかなり低いほうだと自負してきた。世の男性には、自分の母とよく似たタイプの女性を選ぶ輩がいるという話など鼻で笑っていた。現にこれまでの恋人に、母に似たタイプなど一人もいない。僕の顔が母のそれによく似ているという事実も関係しているかもしれない。あえて自分と似た女性とつき合う必要などないからだ。ところがあるときフッと思ったのだ。ひょっとすると僕が選んできたのは、幼いころに思い描いていた「理想の母親」像のイメージに近い女性たちではなかったか。
 授業参観のときなど、教室の後ろに立つ母は、友達の母たちと比べてなんとなくアカ抜けて見えて、背中がむずがゆいと同時に晴れがましい気持ちになったものだ。おまけに守られている感覚もあって、おお、あのときの母のイメージを勝手に女性たちに投影してきただけなのかもしれないぞ。そうなるともう観念するしかない。結局僕は「母」から逃げられない。
 僕の母は、実際にはむしろ厳しくまた我も強く、しかしその分、辛抱強い人でもある。それは僕も含めて弟妹とも充分承知していて、まあそんなこんながいろいろトラブルを引き起こしたりもする。母を痛めつけてきたと自覚しているからだろう、「マディソン郡の橋」を見ながら原罪意識のようなものが僕の中になだれ込んできて、僕は涙を禁じえなかったよ。しかし父の影というのは薄いなあ。すまん。
 主演のメリル・ストリープはやっぱり大女優だ。彼女の「恋に落ちて」も好きな映画だった。というよりも、彼女のことが好きだった。「フランス軍中尉の女」や「ソフィーの選択」なども良かったが、それから以降は今ひとつ。上手過ぎて見なくても判ったような気になっていたからだ。でも「マディソン郡」で、彼女はまた見事なヒロイン像を造形したと思う。そして主演・監督のイーストウッド。きっとこの人は自分の「内なる女性」と上手にコンタクトが取れる、心優しい男なのであろう。


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