10/19/2009

ロミオとジュリエット①

 ディカプリオもいいけれど、やっぱりレナード・ホワイティングだろう。そう、これでピンときた人は、僕とほぼ同世代。ロミオを演じた役者である。そしてオリビア・ハッセー、一世一代の当たり役ジュリエット。
 六十八年のイギリス・イタリア合作の「ロミオとジュリエット」は、フランコ・ゼフィレッリ監督の作品。この人はなかなか器用な人で、「チャンプ」のような泣かせものもそつなくこなすが、どちらかと言えば文芸物が得意のようだ。比較的最近の「ジェイン・エア」も彼の監督作品だ。
 で、ゼフィレッリ監督の「ロミオとジュリエット」だが、まだ十四にもならぬ少女ジュリエットとロミオの「幼い恋」という要素を前面に押し出した。だからこそ、極めてリアリティあふれる作品に仕上がっていたのだと思う。
 たとえばジュリエットは、いつもちょこまかと走り回り、些細なことにも絶えず笑い転げている。また、初めて二人が出会う舞踏会のシーン。カメラは輪舞のさなかの二人を追い、猛烈なスピードで回転する。子供たちが遊園地のコーヒー・カップ(古いな)のハンドルをむやみにぐるぐる回して喜ぶ姿にも似ている。あるいは、二人の悲劇の発端となるマキューシオの決闘・死のシーンなど、半ば冗談半分の戯れ。それがアクシデントで現実のものとなってしまったという扱い方も、彼らの幼さをあらわしている。
 だから、彼らの大げさなセリフも真に迫るのだ-とは言っても、映画では字幕がなければ、何を言っているのか分からないのだけど。シェイクスピア劇ってのはこのあたりがつらいな、なんて、じゃあ現代劇なら英語をちゃんと聞き取れているのかい?と、ひとり突っ込み。
 それにしても、初恋というのはいつも大げさなものである。思い起こせば、中三の修学旅行の夜、僕が始めて恋心を打ち明けたマユミちゃん(おい、本名書いちゃったよ)。どうして修学旅行まで待たねばならなかったか、よく分からないのだけど、やはり思いつめていたのだろう。それなりの舞台が必要だったのだ。
 おお、彼女の唇は何にもまして愛らしく、瞳は深いグレイ。胸は夢と若さにはちきれそうだった。年を経た今。その同じ唇で、焼きそばか何かをすすり(昔も食っていたはずだが)、目にはコンタクト(いいじゃないか)、赤ん坊(とは限らないが)に乳房を吸わせたりしているのだろうよ。
 だけど修学旅行から帰ってきた僕は、生まれて初めて、頬を風がなでていくのを感じたのを今でも覚えている。ロミオとジュリエットの恋というのは、あの風のことなんだ。
 ゼフィレッリ監督の「ロミオとジュリエット」には実は仕掛けがあって、これについては次回。

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