11/11/2009

ロリータ②

 書かねばならぬ。なぜか自分でそう思い決めて「ロリータ」の続き。
 ロリータに恋をする主人公ハンバートによると、「少女は九歳から十四歳までのあいだに、自分よりも何倍も年上のある種の魅せられた旅人に対して、人間らしからぬ、ニンフのような(つまり悪魔的な)本性を現すことがある」(新潮文庫版『ロリータ』大久保康夫訳)という。そしてこういう特質を持った少女のことを彼は「ニンフェット」と呼ぶ。
 実は物語の最初の部分で、彼は二十四年前、自身が少年だったときのある少女との官能を伴った初恋のことを語るのだが、彼はその少女はニンフェットではなかった、と言う。当然だ。彼は少女と同年代だったのだから。だけどその残像のようなものは、のちまでずっと彼をとらえ続け、二十四年後ロリータに化身させることで初めて開放された、と語る。
 となると、彼は単なる追憶者なのか。
 ハンバートは、自分の俗悪さ、醜怪さをこれでもかと告白し、それとは対極にあるニンフェットの美を賛美する。ロリータが成熟するに従い、その特有の美を失っていくのを想像しては幾度となく嘆く。彼は決して処女崇拝者ではない。だから、ロリータがすでに処女ではなかったと知っても、大して落胆もしていない。どころか、欲望にとらわれるや、狂ったように何度も何度もロリータを抱くのである。
 それも当然か。彼の愛の対象とは「純潔」にあるのではなく、刻一刻失われる運命にあるニンフェットの美である。彼は時間と格闘しているのだ。それが永遠に失われる前に、すべてを飲み干そうとしているのだ。
 前回も書いたことなのだけど、僕は少女を見ることが苦手だ。見ることは、しばしば欲望することと同義だ、と本能的に知っているからかもしれない。となると僕もアブナイ。自戒せねばならぬ。
 物語中こんな記述がある。「成熟の第二の有力な徴候は、色素をおびた恥毛が発生することだ(十一年二ヶ月)」。ハンバートにとっては欲望の臨界点なわけだが、試しに「少女の性器」、とこう書いてみるだけでも、ロリータ・ノンケであるはずの僕ですら、めまいに似たような感覚に襲われる。うーん。
 ところで、こちらのポルノ雑誌、どうしてヘアを剃ったモデルがかくも多いのか。もちろん、見せるべき部分をきちんと見せる、という商業的要請もあるからだろうけど、それだけかしら。長い間、裸体画にヘアを描かない伝統と結びついている可能性もある。それとも、ヘアが写っているなんて喜んでいるようでは、まだまだエロティシズムの洗練の度合いが低い、ということなのか。でも僕は春画派。あぶな絵は日本の誇り、などとよく分からないままで今回はおしまい。

Visit T.H.Kyoske Online!

0 件のコメント:

コメントを投稿