9/08/2009

エリザベスとメアリー②

 メアリー・スチュアートが君臨した時代のスコットランドの歴史は、他の時代に際立って面白い。同時期のイングランドに、エリザベス一世という強烈な個性があったことも一因であろう。二人の女性の人生は、ほぼ対極にあるし、イメージもまたしかり。
 メアリーもエリザベスも、いくつかの肖像画が今に残されているが、この二人の、肖像画から受ける印象は、まったく違う。
 メアリーの肖像は、どれもこれも美しい、それは気品に満ちた「素」の美しさだ。余計な飾りがない。フランス宮廷で身につけた、洗練されたマナー・教養。そういったものを絵の中から感じ取ることが出来る。要するに、美しい女性がそこに在るのだ。
 それに対し、女王エリザベスの肖像画から受ける印象は、盟主としての「威厳」あるいは「威圧感」である。女性ではなく、君主がいる。
 民衆に追われてイングランドに亡命してきたメアリーの、長い幽閉生活ののちの処刑は、結果として、まさにイングランドの存亡の危機を呼んだ。スペインの無敵艦隊の襲来である。カトリック勢力にとって、メアリーは、いわば失地回復のための切り札だったからだ。これを乗り切ったのちのイングランドには、「エリザベス信仰」といえる現象が起こったという。
 女王エリザベスの肖像から感じるのは、まさしく、そういった超越を目指す意地ともいうべきものだ。彼女の肖像は自己完結している。
 再びメアリーの肖像に目を転じると、気品と同時に、そのはかなげな風情から来るのだろうか、彼女の隣に、豪快で自信にあふれた男を立たせたいような誘惑に駆られるのは、僕だけだろうか。
 肖像画で見る限り、ボズウェルというのは、そういう印象を与える男だ。
 自国民に石をもって追われながらメアリーと別れた彼は、各地を転戦、最後はデンマークの牢獄で狂死する。ボズウェルに、メアリーへの愛情がひとかけらでもあったかどうかは疑わしい。常に冷静だとか野心的だとか、そういった言葉で描かれる男なのだ。メアリーは、そんな男への恋にすべてを賭けて狂ったのだ。
 近年の映画「エリザベス」は良く出来た映画だった。そこに描かれた彼女は、一途な、自分の義務に忠実な強い人間だった。しかし、恋に狂える女ではなかった。
 女には二つある。恋に狂える女と、恋に狂わない女と。どちらも能力なのだ。一方、ひょっとすると、すべての男は、女を恋に狂わせることが出来るのかもしれない。でも、その女が目の前に開いた闇の中、どこまでも転戦できる男と逃げ出す男と、男にはその二つのタイプしかない。

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