ずっと気になっていたのだ。放映後二十年以上も経とうというのに。二人の年の差だ。
「キャンディ・キャンディ」は、アメリカとイギリスを主な舞台とした大河ドラマだ。紙面の制限上、詳しくストーリーを述べる余裕がないので、今回は分かる人にしか分からないが、勘弁していただきたい。ナニ、どうせヨタ話である。それでも一言で言えば、「足長おじさん」と「君の名は」をミックスしたようなメロドラマなのですな。
僕なんぞ、毎週見ていましたよ。初恋の相手アンソニーが、落馬が元で死んでしまうところなど、涙なくしては語れない。テリーとの徹底的なすれ違いは、思わず「ほら、キャンディ、テリーはすぐ後ろにいるよ!」と叫びたいほどだった。
あれほど盛り上がったストーリーなのに、最後はなんだか尻切れトンボ。どうやらキャンディはアルバートさん=ウィリアム大おじ様と結ばれるような感じなのだが。テレビでは最終回、なんと登場人物皆でのティーパーティでお茶を濁してしまったのだ。何かとってつけたような、文脈にそぐわない結末だった。そしてまたいかにアルバートさんが「丘の上の王子様」だったとはいえ、この二人の結びつきは、中学の一番人気の女の子を高校生に取られたような、いや、大学生か、社会人か。そんな口惜しさとともに、何かざらっとした後味が残ったのである。
キャンディとアンソニーの恋は淡いもので当然肉体関係はない。テリーとのからみも性的交渉をイメージさせるシーンはなかったと思う。
ここで、キャンディは孤児だった、という背景が気になる。つまり、彼女が無意識的にせよ求めていたのは、アンソニーのような優しいが女性的な男ではなく、またテリーのように行動力には富むが包容力に欠ける男でもなく、実は父のような男だったのではないか。若き「恋人」たちとの悲恋は、実は彼女自身が招きよせていたものではなかったか。
アルバートさんとの関係が結局ムニャムニャという感じになったのは、ハッキリ描いた場合、当然そのあとに続くと予想される二人の性的結合のイメージが、やはりテレビ枠では収まりきれないものだったからだと思う。それは直接に、父との性的関係を暗示するものだからだ。
最終回のティーパーティは、自分たちが描いているものが、実はインセスト・タブーへの侵犯であると気づいた制作者たちの苦肉の策であろう。原作ではもう少し、踏み込んでいたように思う。
しかし、こうも考える。あのアルバートさんに、果たしてベッドの上でキャンディを愛撫することが可能だろうか?すると-。
ファーザー・コンプレックスを抱えたまま肉体的に成熟したキャンディは、その後どこをさまよったのだろうか。
Visit T.H.Kyoske Online!

0 件のコメント:
コメントを投稿