7/23/2009

 ウェブのデザインを一新した。
 一新したついでに、ブログなるものにもこの際だから手を出すかっていうんで思い立ったはいいが、吉日どころか、よっぽどめぐり合わせの悪い日だったに違いない。そのまま手をこまねき、ねえ、何書いたらいいの?状態が延々延々と続き、気が狂いそうになってきた数日前、ふと思いついた。以前、英国を中心に配布されている「英国ニュースダイジェスト」というフリー・ペーパーに連載していたコラムがある。これをこの場に掲載していくってのは駄目ですかって、誰に許可を得ようとしているのか良く分からんが、編集部の許可は取った。
 色々苦労して書いていたので、どこかで再発表できればいいなとかねがね思っていたのであった。ただ読み返してみると、当時の心持と今の状態では、結構な距離のあるものもあって、どうかなと思うところもあるけれど、まあそれはそれでいいだろう。
 主にヨーロッパに関連する題材から「恋愛を語る」というテーマで毎週、ほぼ1年にわたって連載したのだが、当時思ったのは、「恋愛」は「虚構」であり、仮に恋愛をする「能力」があるとすれば、それはこの「フィクションを作り上げる力」であるということ。「虚構」といえば、なんだか聞こえが悪いが、たとえば優れた芸術作品(これも虚構の一種である)が、絶対者あるいは宇宙とコンタクトを取ることを鑑賞者に許すことで彼あるいは彼女の魂を救うように、恋愛自体が当事者を包み込む寺院の伽藍となり、この舞台で魂の一瞬が永遠と触れスパークする。この考えは今も変わらない。この通奏低音はほぼ全編にわたって聞かれると思うので、現時点との多少の誤差はかまわないだろう。いいことにすると私が今決めた。
 前振りもこの辺で。それでは「アシッド恋愛論」の始まり始まり。
Visit T.H.Kyoske Online!

0 件のコメント:

コメントを投稿