先にアーサー王のことを書いたが、この伝説の中に僕の好きなエピソードがある。
王妃グィネヴィアが五月のある日、身近の従臣たちだけをつれて五月祭のための花摘みに出かけた。ところが、かねてから王妃に想いを寄せていた勢力者マレアガンスに、一行は捕らえられてしまう。王妃は、小姓を逃がし、ラーンスロットに助けを求める(自分の夫に、ではないのですね。恋人にまず伝えるのですぞ)。
知らせを受けたラーンスロットは、数々の苦難を乗り越え、ようやく王妃が幽閉されている城の前にたどり着く。が、ライオンと豹とに襲われ、これらを倒すものの、自分も重傷を負う。傷の癒える間もなく、彼はマレアガンスと一騎打ちを行うが、衰弱した体は、本来の力を発揮することを許さず、勝負が危ぶまれる。
と、そのときグィネヴィアが叫ぶのだ。「ああ、ラーンスロット!私の騎士よ、人の話ではあなたはもう私にふさわしい者ではないと聞いていましたが、やはり本当だったのですね!」(トマス・ブルフィンチ著、大久保博訳「中世騎士物語」角川文庫)。この一言で彼は気力を回復し、見事、敵を打ちのめす。
恋をしているときの男にとって、しかもその男が苦境に立たされているとき、女の叫びというのは、かくも絶大な影響力を持つものである。信じられないかもしれないが、本当なのだ。その証拠に、このパターン、何度繰り返し繰り返し、現代にいたるまで描かれ続けてきたことだろうか。
ちょっとひねってはあるが、「あしたのジョー」だってそうだったはずだ。丹下段平がいくら「立て、立つんだジョー」なんて絶叫したところで、彼を支えていたのは、かつて彼と拳を合わせたボクサーたちの幻とともに、白木葉子の存在だったはずだ。僕なら、丹下段平じゃ嫌だ。寝てる。
ひょっとすると、これは全人類が共有するイメージかも知れない。子供の叫びによって回復する主人公、というのはこの亜流だろう。スカッとするんだな、これが。女性はこういうシーンをどんな風に感じながら見るのだろう。
ご免ね陽子ちゃん。小学校四年のとき、君が応援してくれたのに、目の前で転んでみんなに抜かされて。ご免ね恵子ちゃん。中学一年のとき、君の目の前で騎馬戦のとき落馬して。ご免ね真由美ちゃん。中学三年のとき、飛び込み方が悪かったんだ、プールの底で頭打っちゃった。ご免ね由加利ちゃん。高二のとき、せっかくオーディション聞きにきてくれたのに、アガッちゃって頭真っ白。ご免ね啓子。大学一年のとき、まだ慣れていなくって御免なさい済みません申し訳ないご免なさい。
そして僕は、立派な大人になった。
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