7/29/2009

王妃グィネヴィアとサー・ラーンスロット①

 どうしても分からないのだ。
 アーサー王と王妃グィネヴィア、そして、サー・ラーンスロットの三角関係がである。
 中世の騎士にとり、貴婦人に忠誠を誓い、その愛の証明として勲功をあげるのは、最高の名誉となる。ラーンスロットの場合、求愛の対象が王妃であった。一途の愛から、彼は騎士の中の騎士となり、王も王妃も彼を寵愛するのだが、このあたりがどうも分からん。
 いかに宮廷恋愛が高尚な遊びとはいえ、あからさまな「求愛」は、王の怒りを買わなかったのだろうか。二人の間には肉体関係もあったようなのだが。
 アーサーの王国崩壊のきっかけは、実は、王妃とラーンスロットの恋愛にある。アーサーの忠臣の一人が、彼らの関係を「表沙汰」にしてしまうことに始まる。王は王妃を火刑に処することを決断するが、間一髪、ラーンスロットが王妃を救い出す。そして王国は国王派。ラーンスロット派の二つに割れて戦いを始める。
 この、王妃救出以降のアーサー王伝説の展開、何かの比喩なのだろうか。
 考えられるのは、貴族たちの結婚はあくまで政治。恋愛は遊戯と完全に区別されていたのだろう、ということだ。だから、ラーンスロットが王妃を自分の城へと奪っていった段階で、遊戯は遊戯でなくなった。政治の領域に侵食してしまったのだ。これでは、アーサーも動かざるを得ない。まさしく「恋愛と結婚は別」だったのだ。
 ローマ教皇の仲介により、いったんアーサーとラーンスロットの間に和睦が成り立ち、王妃は王の元へと返される。ラーンスロットもおとなしくこれに応じている。こうなるとグィネヴィアも玉(ギョク)、つまりはモノ扱いで、ここに働くのは政治の力学のみである。あれほど子供じみて魅力的だったラーンスロットも、この段階で大人になったというか、政治に堕したというか、なんとなく生彩に欠ける。
 さて「腹」より「種(タネ)」を選んだ社会、つまり父系社会というのは、往々にして息苦しいものだが、アーサー王の物語もこんなふうに読めはしないか。彼と王妃の間に子のなかったことを考えれば、王国は、王妃を、王とラーンスロットで共有していたことで成立していた。「種」の発想、逆に言えば、「姦通」の意識にとらわれたとき、このユートピアは崩壊した。
 「王妃は、王とラーンスロットと仲睦まじく幸せに暮らし、王国はいつまでも栄えましたとさ」。
こんなオチもあると思うし、「種」よりも「腹」を選んだ社会の心理構造といったものに、僕は興味があるのだけど。

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